ポルトガルの詩人作家ペソアについて
2015年 09月 10日
大変な嵐の傷跡を残していきました。
先日、パリにお住まいの方のブログを拝見しておりましたら、ポルトガル20世紀の詩人と云われているフェルナンド・ペソアという人を知りました。
1888年リスボンに生まれ5歳で父を失い、母の再婚相手アフリカ領事官とともに南アフリカに育ち17歳の時にリスボンに戻り学問を深めます。
そして47歳でこの世を去りますが死後、沢山の執筆作品が見つかって注目されていくのです。
そこにイタリア・ピサ生まれの作家アントニオ・タブッキ(1943年生)によってペソア研究者として一躍ペソアの名が世界に・・・。
その代表作『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(アントニオ・タブッキ作、和田忠彦訳)を読みました。
この題名からして実に興味津々の私、ペソアが亡くなる日の三日前、家から病院に行くところから始まります。
まず髭をそらなければ、とかれは言った。とタクシーがきていることを友人たちが伝えてもすまないが床屋を呼んできてくれないか、そこの角に住んでいるマナセスさんていうんだ。まわりが気をもんでもかまわない、時間はいつだってあるものだ、と悠々と長椅子に座ってサン・カルネイロの詩集を読み始めるのです。床屋のマナセスがやってくるとおもしろい話をしてくれとお店にやってくる人間の話をせがむのです。
もう最初から孤独を耐え抜いた哲学者の姿が浮かび出てきます。
ポルトガルという国は私もヨーロッパを走ったなかで一番日本に近いものを感じたのですがサウダーデ、ファド、など哀愁を帯びた自然の佇まいに人間が寄り添って生きている姿は共通の美を感じるのでした。
このペソア最後の三日間には病室に訪ねてくる47年間の思い出の人たちが幻影のように登場して真相を明かしながら疲れたペソアに最後のひとりが眼鏡をとってかれの顔にのせるのです。ペソアは目を見開き、その手はシーツの上で動きを止めた。ちょうど20時30分だった。
こうして本は終わるのですが作者アントニオ・タブッキのペソアになりきった文面にはいかにフェルナンド・ペソアに共感して彼の偉大さを表現したかったのが伝わってくるのでした。
まだ雨は降っています。雨音を聴いていると秋雨に変わったのでしょうか・・・。
図書館より
そしてまた、『リスボンへの夜行列車』(パスカル・メルシエ)の冒頭に、『不安の書』からペソアの言葉が引用されていたことも、思い出しました。
ペソアの詩集読みたいです。「梨の木日記」を記していらっしゃるパリ在住のブログ友人も素敵な方で楽しく訪問しておりますの(^・^)
鬼怒川決壊大変ですね。お出かけの時はお気をつけて(*_*)