精神の自由とは・・・
2014年 11月 27日
今朝は少し晴れ間も見せてくれましたが一段と寒さが益してきています。
少し疲れ気味のようで外の空気を吸う元気もいま一つ。
家にある本を再読している今日この頃、吉田健一の『葡萄酒の色』(岩波文庫)の後ろの解説に富士川義之氏とおっしゃる方が記していられますが、それを読んでいて翻訳も一種の批評と述べている吉田健一氏のことを事細かに記していられます。
逐語的な訳を推奨する吉田氏は例えばシェイクスピアの十四行詩の18番、始めのところです。
君を夏の一日に喩えようか。
君は更に美しくて、更に優しい。
心ない風は五月の蕾を散らし、
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。--吉田健一訳
君をしもたぐへつべきか、夏の日に
うるはしさ、おだやかさ、君はまされり。
あらき風、五月(さつき)の愛(は)しき芽を落し、
夏占むる時のかぎりの短かさよ。--竹友藻風(たけともそうふう)訳
君を夏の日にたとえても
君はもっと美しいもっとおだやかだ
手荒い風は五月の蕾をふるわし
また夏の季節はあまりにも短い命。--西脇順三郎訳
日本語のその言葉にからまるいろいろなイメージがその訳者の姿に映るのでした。
詩の目的は精神の自由であるようで、言葉を通して美しい表現ができたらどんなにこころの幸せに繋がるか・・・