このように比較する才能によって
2013年 12月 09日
最近また地方紙に替え、朝刊の小説では親鸞の晩年が五木氏によって文学となり再現されています。
梅原猛氏が《思うままに》を文化面で記していられ、親鸞のほとんどの著書は80歳を超えてから書いていること、葛飾北斎は70歳までに描いた作品は未熟なもので、百歳を超えれば神妙な絵が描けると語ったこと、富岡鉄斎は死の直前89歳の時に最も多くの作品を残したことなどが語られています。
人間の生命は体力が衰えようと集中力が欠けてきても、ゆっくりと、
同じ文化面でブラジルの作家パウロ・コエーリョ氏の言葉《他人と違う存在になれ》
そして又森有正の本を自分が窮したとき開けるのですがこの氏の本はどこを開いても読みごたえのある内容が返ってくるのです。
今日開いたところは日本人の考え方に、上下関係(縦)を枢軸とする二項方式的私的結合がその中心となっていることが記してある。
《君臣であっても、親子であっても、師弟であっても、兄弟であっても、夫婦であっても、恩人に対する関係であっても、そういう上下的(私的)二項関係に日本人は極度に敏感であり、それ以外に対してははなはな鈍感でありがちであるという事態である。日本人の共同体はこういう方式が無限に錯雑したかたちで重なり合っている集合体で、こういう上下的二項方式が日本人の経験の「単位」となっている。それは一方、人間関係が個人の自覚まで分析的に下がって行くことが出来ないし、また逆に無数の他人を含む、全体という表象がぼんやりして来ることが避けられない。》
このように森有正は人間にとって一番楽な方式である。と言い切っています。誤解は無限に続く・・・。
今夕、出かけず、家にあるもので食事を作りましたが、煮込みうどん、私、うどんが苦手なんです。
相手は大好き、ぼそぼそと食しているうちに、同じ味がいつまでも続き、飽きてきてしまって疲れてくる。
「私、日本人でないみたい・・・」
無責任な返事が返ってくる。「外国人になれば?」
変な人!
まだ遅くはない、自分の道は・・・。 美術は無理ですね^^
という始まりの語り口調のエッセイを書きたいと以前から漠然と思っています。
是非に書いていただきたい。楽しみにしております。