山あいで連休 森有正を読む
2012年 11月 24日
何のことは無い、リセットしてもらって一応は直りました。
今日は雨の予定がお日さまが顔を出し、山あいの美しい紅葉が目を楽しませてくれています。
昨日は雨、ゆっくり読書に明け暮れました。
家に森有正の全集を置いているので久し振りにページをめくると、いろいろなところに線を引きたくなり、あらためて深い洞察に心奪われます。
例えば
[フランス社会の社会性は、社会生活が家庭の内に入り込んでいる。その度合を見れば、明らかに判る。それに対して日本では家族が大きくふくらんで、社会を家族型の大きな共同体に変形させているのである。それで判然と判ることは個人性の弱さである。]
[・・・。人を排除するというような卑しい行為を僕は拒否する。・・・・・・。それは人間関係における質の問題なのである。このことが判るのは大変にむつかしい。]
[一人の人間が自分自身であるためには何と多くの犠牲が必要とされることか。]
[西洋人の生活は何と厚味があり、また密度が高いのだろう。]
[生活を組織するためにどうしても必要な質、それが問題なのである。
組織とは、それなしにはばらばらに分離したものでしかない諸要素を組み合わせる能力のことだ。
この能力を通じて我々は我々自身を超えるそれらの要素と同じ数だけの現実に触れるのである。
そうとすれば、組織とは意志を絶えず緊張させて罷まない、ということである。
日本人は一種の因習を作り上げ、その諸要因を親和力で結ぶ。
ところが、そのような親和力は実際には存在しないのだから、絶えず人を裏切ることになる。
そこで、思いもよらぬ現実を前にして、初めて因習の上にあぐらをかいてうつらうつらしていた状態から目が覚める。
この点に関してフランス人は、ごく若い人たちでも、比較にならない程、意識が判っきりしている。
要するに現実に関する感覚の問題なのである。そして、意志の役割を実によく心得ている。
意志とは複合体なのであって、ただがむしゃらに決意をかためるというのとは異なるのである。
日本人の骨の髄まで浸み込んでいるアニミズムから完全に手を切ることは何とむつかしいのだろう。・・・。]
これらは森有正の晩年の日記に書かれている一部分ですが、1970年前後から延々と私たちの国は変貌できない・・・。
そして彼は1976年10月18日すべての苦しみからパリで解放されたのです。