初秋の向日葵

 買物から帰る途中に夏の名残のように大きな向日葵が最後の力を振り絞って咲いていました。

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携帯を近づけると何かお礼を言ってくれているみたい・・・。

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こちらこそ有り難う・・・来年もよろしく・・・

家に着くとアスターがお迎え・・・。この花はそう言えば須賀敦子さんの文章にイタリア人のご主人でいらした義母さまが自分の畑を持っていられてある日、このアスターであろう花束を抱えて家のテーブルにどさっと置く描写がありました。文面では紫苑と記していられましたがドナルド・キーン氏はアスターと訳していられたと、あ、同じ花・・・と思いながら水やりの最近なのです。

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                           闇夜のアスター。
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by madamegrimm | 2015-09-29 18:13 | 樹木草花 | Comments(2)

歌うわたし

久しぶりに歌をうたった

 ピアノの前に坐り 静かに瞑想

 バッハのプレリュードⅠBWV846をまず奏でる

 昔の幻影が浮かんでくる 自分の儚さが微風のごとく・・・

 スペイン民謡『追憶』・・・♪ほしかげやさしくー・・・

 イギリスの歌『庭の千草』・・・♪にわのーちぐさもー・・・

 イタリア歌曲『アマリリ麗し』・・・♪アーマリリうるわしー・・・

 フランスのシャンソン『枯葉』・・・♪たまに思い出しておくれー・・・

 シャンソン『失われた恋』・・・♪よるのかぜはすぎたこいのかげをのせおとずれる・・・

 う~ん、人生は過ぎ去って行く・・・。

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                   ようやく雲の合間から中秋の名月(23時01分)



 
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by madamegrimm | 2015-09-27 16:28 | 私の詩 | Comments(2)

 ずーっと何となく彼女を避けてきたのですが亡くなってから盛んにメディアが動き始めあちこちの文芸誌にあの童顔で可愛らしい容姿を拝見していて気になり始めた作家です。

図書館で池澤夏樹氏のエッセイ集を読んでいましたらその須賀敦子さんの『コルシア書店の仲間たち』が紹介されて感想を述べられているのに出会いむむむと思っていたところにペソアの詩と関連してイタリアの作家アントニオ・タブッキが現われそのタブッキの作品を須賀敦子が翻訳しているのです。

また彼女は沢山の日本人の作品をイタリア語に訳して紹介されており、翻訳者でもあるのでした。

そのようなことで『コルシア書店の仲間たち』と『トリエステの坂道』を読み始めました。

何て自然体の文章でしょう。イタリアのミラノの片隅でミラノの名家の出資の書店でのいろいろなイタリア北方の人たちとの出会い。

夫になるペッピーノの家族とその関係者たちの自伝的と申してよろしいのかイタリア人の生活の中に深く浸透しながら夫の死によってその数年後日本に帰国しながら強い意志をもって生き抜く須賀敦子の姿が心に強く響き引き付けられました。

この当時、ヨーロッパに留学するのは大変な困難でいられたと思います。

日本人としては早い亡くなり方でいらっしゃいましたが、イタリア人のアントニオ・タブッキ氏がこのようなことを記していらっしゃいました。
・・・そのときのわたしの講演は彼女の進行によって導かれることになっていたのだが、日本の聴衆は彼女の、時としてアイロニーをも含む明晰さや知性のお陰で、一見大きな隔たりがあり、まるで理解不可能であるかのように思われるときも、実は、世界の全ての人々は深い絆によってお互いに結ばれているのだということを理解したのである。
 今日、1998年3月20日、ここヴェッキアーノにあるわたしの家に彼女の死を伝える知らせが届いた。彼女は教養にあふれ、勇気と知性と国際性をもった優しくて強い人だった。そして民主的なものの考え方と寛容の精神とを同時に持ち合わせた人だった。今、わたしは彼女のことを本当に懐かしく思い出している。
(文藝別冊「追悼特集」須賀敦子)より

イタリアのミラノからヴェネチア、ユーゴ、スイスと国境を挟んだこの地で須賀敦子さんの北イタリア人の中で過ごされた静かな、激しさを込めた一生は日本人への素晴らしい贈り物なのでした。
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by madamegrimm | 2015-09-24 12:30 | 人間 | Comments(6)

奏でているのは風の精か 地の霊か・・・
リズミカルな旋律の 
軽やかな息と影とが
松林をかすめて通る

どこか知らない
曲がりくねった街道か
木ぎのあいだに見え隠れする人のごとく
あるときは高く あるときは低く

けっして私のものとなることが
ないであろうものの遠く不確かなかたち・・・
私にはほとんど聞こえない だが私は涙ぐむ
なぜかなみだがこぼれる

旋律のあまりにかぼそいため
わたしにはほとんどわからぬ
それが旋律であるのか それとも
夕暮れと 松林と 私が淋しいだけであるのか

だが旋律はやむ 微風が
歎きの声を忘れるごとく
そしていまあるのは ただ
松林の音楽だけ 
   (ペソアの詩から)注:訳の中のは訳者はぼくとしてあるのを男女共通に感じ私にしてみました。

ポルトガルの地のサウダーデ(孤愁)が滲み出ており、今、Meine Mutterの人生が終わろうとしている時期である私たち姉妹の心がセピア色のように今の母の心とかさなり、とりわけ傍らで介護してくれている次姉の精神と合致してペソアの詩は響いてくるのでした。

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                        アスター   花言葉:追憶

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by madamegrimm | 2015-09-22 15:01 | 人間 | Comments(2)

安保関連法案が19日a:m2時過ぎの真夜中に可決、市井の人間の声は届きませんでした。

いつものごとくの政治の世界、虚しいですねー・・・。

権力で押し切って行くことがはたして人を引っぱって行けるのか疑問に感じます。あの委員長の横浜での声を罵倒する形相は深く人々を傷つける何ものでもありません。悲しいです。

悲しい事は世の中にいっぱいありますが一対一の男女の問題も哀しい事柄が多い・・・。

昨日Meine Mutterの見舞いの後、近くの二本立て映画館でフランス語映画を上映していて観てしまいました。

なんと1936年ジャン・ルノワール監督『ピクニック』デジタルリマスター版と1969年ロベール・ブレッソン監督『やさしい女』(ドストエフスキー原作)こちらもデジタルリマスター版です。

『ピクニック』は見事な監督の父である画家ルノワールを想わせる白黒でありながらその当時のパリのお金持ちの商人家族が近郊の田舎にピクニックに行きアバンチュールを楽しむ中から喜びと悲しみの人生ドラマが醸し出されていき、40分位の映画でしたがよくこのようなフィルムが残っていたと・・・見事な印象派をおもわせる草上のピクニックなのでした。

そして『やさしい女』・・・こちらも美しく甦ったデジタル化、女優のドミニク・サンダ、デビュー作です。(美しい!)

昔ドフトエフスキーの白痴と一緒にこの短篇を読んだような読まないようなよく覚えていないのですが、このドラマに引きずられていきました。
年月を経た私にとってこの話、男と女のかみ合わない食い違って行くお互いの独りよがりがわかり合いながら歩み寄れなく切ない男女の葛藤が少ない会話の中で表現されていて哀しみに浸ってきたのでした。

二人とも愛そうともがく自分自身につまずくと申しましょうか、愛し合うことの難しさを問いかけているよな・・・
原作はロシアでしょうが、この場面はパリの日本でいう質屋を経営する男の話でパリの街が丁度訪れていた頃の風景で実に懐かしくその当時の描写がリアルに私にも甦ってくるのでした。

おおお、夕方になってしまい急いで帰宅したのであります。

今日になっても心から離れません。

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ザクロの盆栽がこんなに大きな実をつけていました。この花の花言葉は「円熟した優雅さ」 ほう・・・。
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by madamegrimm | 2015-09-20 11:43 | 人間 | Comments(2)

 昨夜今日と安保法案をめぐって沢山の声を上げてくださっている人々、雨の中を命を懸けて見直す方向へと叫んでいる声が届くのであろうか・・・。

議員の方々はもうお疲れで声もホロホロ・・・。この国はどうなっていくのでしょう。

気になりながら先日来、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの『ポルトガルの海』(池上岺夫編訳彩流社1985年発行)が読みたくとうとう見つけ借りてきました。

日本ではまだそれほど訳されていないようで、この一冊で判断するのは烏滸がましいですがペソアには他に三人の異名で時代を変えて詩を表現していて例えでシェイクスピアのリヤ王を想像すると解りやすいとこちらの本の解説でおっしゃっていられますが、この中にその異名のお一人、アルベルト・カエイロの詩の中に自然と心に入ってきた詩を記します。

なにも考えぬことには形而上的意味が大いにある

世界にたいするわたしの考えはいかなるものか
わたしには世界について自分がどのように思っているのかわからない
もし病んでいれば それについて考えもしよう


事物にかんするわたしの観念はいかなるものか
原因と結果についてどんな見解をもっているのか
これまでどう考えてきたのか 神と魂について 世界の創造について
わたしにはわからない わたしにとってそうしたことを考えることは眼を閉じて考えないことだ
わたしの窓の カーテンをしめることだ (だが窓にカーテンはない)

事物の神秘? 神秘とはそもそもなにか 
第一の神秘 それは神秘について考える人がいることだ
陽光のもとで 眼を閉じれば
太陽とはなにかわからなくなり 太陽に暖められたあれこれの事物を考えるようになる
だが眼を開ければ 太陽が見え もはやなにも考えられなくなる
太陽の光はいかなる哲学者の いかなる詩人の 思考よりも価値があるからだ
太陽の光は己れの行為のなんであるかを知らぬ
だから過つことなくすべての人にあまねく優しいのだ

形而上的意味? あそこの木ぎの形而上的意味はなにか
それは枝をのばし 葉をうっそうと繁らすこと

時が来れば実を結ぶこと だがそうしたことはわれわれに 
ついに木ぎの存在に気づくことのないわれわれに思考をうながさぬ
木ぎはなにのために生きているかを知らず
知らぬことに気づいていない だが木ぎのこうした形而上的意味ほどに
すぐれた意味がほかにあろうか

「事物の内的構造」・・・「宇宙の内的意味」・・・
こうしたものはすべて虚妄だ いかなる意味もない言葉だ
こうしたことを考えることができるとは信じられぬ
それは原因と結果を考えるようなものだ
暁の光が射しそめ 仄かに明るい金色が 木ぎのあいだから闇を追いたてているときに

事物の内的意味を考えること
それは無駄なことだ 健康について考えたり
コップを持って泉へ行ったりすることにも似て
事物の内的意味は唯ひとつ
事物に内的意味などなにもないことだ

わたしは神を信じない 見たことがないのだから
もし信じることを神が望むなら
かならず神は会いに来て
玄関からなかへ這入り
わたしに言うだろう 「ほら ここにいるよ」 と


(こうした言葉はおそらく滑稽にきこえよう
見ることによって学び得ることばで 事物について語られても 事物を見るとはいかなることか知らぬためそれが理解できぬ耳には)

しかし神が花であり 木であり 山であり 太陽であり 月の光であるなら
そうであるなら わたしは神を信じる
そうであるなら わたしは常に信じる

わたしの毎日は祈りとミサと そして眼と耳による聖体拝領の日びとなる
しかし神が木であり 花であり 山であり 月の光であり 太陽であるなら
それをわたしが神と呼ぶことにどんな意味があるのか
わたしは花 木 山 太陽 月の光と呼ぶ
もし神がわたしに見えるようにと
太陽に 月の光に 花に 木に 山になったのであれば
わたしの前に 木として 山として 月の光として 太陽として花として現われるのであれば
それは神を木として 山として 花として 月の光として 太陽として知ることを神が望んでいるからだ


わたしが神の意志にしたがうのもそのためだ
(神が己れについて知っていることのほかわたしが神についてなにを知っていよう)
わたしは神の意志にしたがって 素直に生きる
眼を開いて見る人として
そして神を月の光 太陽 花 木 山と呼び
神を愛する 神について考えることなく
そして眼と耳で神を思い  常に神とともにある


『ポルトガルの海』(フェルナンド・ペソア詩選)より 
ペソアの異名には他にこの詩のアルベルト・カエイロとリカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスがあります。

やはり詩というものはその国の原語で読みたい・・・もうまにあわないなー・・・。

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by madamegrimm | 2015-09-17 18:05 | 人間 | Comments(5)

晩夏・・・

 
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日本列島嵐を齎した大雨被害・・・一級河川決壊には驚きと悲しみが同時にやってきました。

昼間でしたので沢山のヘリコプターが飛び交いその風圧との中での救命救助には頭がさがりましたが恐かったです。

ヘリコプターの操縦と救命作業にあたっていられた自衛隊や消防の人たちの技術の高さにこのことも驚きをかくせません。

こんなに素晴らしい訓練をしていらっしゃる人々を集団的自衛権で戦場には行ってほしくありません。

今の安保法案を見直さなければいけないと心から思います。

朝顔も晩夏の今日この頃、黄色くなってきた葉っぱの影に最後の一輪になりましょうか白い朝の顔を咲かせてくれていました。

土曜日、Meine Tochterの家に行き彼女の手作りの夕食を戴き感無量になってしまったichです。

彼女が大人になってから今日まで距離をおいた人生の親子でしたが一人前になった姿を最近みる機会が多くなって季節で表すと晩夏でしょうか、頑張っている様子に、えも言われぬ趣きを感じます。

流石 Maler's Tochter、家の中は楽しんでいる装飾品と共に落ち着いた室内でのちょちょっと手早く食事を作ってくれて、たくさんの話が尽きないのでした。

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by madamegrimm | 2015-09-14 10:50 | 人間 | Comments(2)

 昨日の台風18号の影響はまだ残っていて都内は雨が降ったり雷の音がしたりしています。

大変な嵐の傷跡を残していきました。

先日、パリにお住まいの方のブログを拝見しておりましたら、ポルトガル20世紀の詩人と云われているフェルナンド・ペソアという人を知りました。

1888年リスボンに生まれ5歳で父を失い、母の再婚相手アフリカ領事官とともに南アフリカに育ち17歳の時にリスボンに戻り学問を深めます。

そして47歳でこの世を去りますが死後、沢山の執筆作品が見つかって注目されていくのです。

そこにイタリア・ピサ生まれの作家アントニオ・タブッキ(1943年生)によってペソア研究者として一躍ペソアの名が世界に・・・。

その代表作『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(アントニオ・タブッキ作、和田忠彦訳)を読みました。

この題名からして実に興味津々の私、ペソアが亡くなる日の三日前、家から病院に行くところから始まります。

 まず髭をそらなければ、とかれは言った。とタクシーがきていることを友人たちが伝えてもすまないが床屋を呼んできてくれないか、そこの角に住んでいるマナセスさんていうんだ。まわりが気をもんでもかまわない、時間はいつだってあるものだ、と悠々と長椅子に座ってサン・カルネイロの詩集を読み始めるのです。床屋のマナセスがやってくるとおもしろい話をしてくれとお店にやってくる人間の話をせがむのです。

もう最初から孤独を耐え抜いた哲学者の姿が浮かび出てきます。

ポルトガルという国は私もヨーロッパを走ったなかで一番日本に近いものを感じたのですがサウダーデ、ファド、など哀愁を帯びた自然の佇まいに人間が寄り添って生きている姿は共通の美を感じるのでした。

このペソア最後の三日間には病室に訪ねてくる47年間の思い出の人たちが幻影のように登場して真相を明かしながら疲れたペソアに最後のひとりが眼鏡をとってかれの顔にのせるのです。ペソアは目を見開き、その手はシーツの上で動きを止めた。ちょうど20時30分だった。

こうして本は終わるのですが作者アントニオ・タブッキのペソアになりきった文面にはいかにフェルナンド・ペソアに共感して彼の偉大さを表現したかったのが伝わってくるのでした。

まだ雨は降っています。雨音を聴いていると秋雨に変わったのでしょうか・・・。

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                                  図書館より
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by madamegrimm | 2015-09-10 12:32 | 人間 | Comments(2)

大雨注意報

 台風18号が接近してきています。並行して秋雨前線も。

日本列島連日大雨と竜巻と突風と・・・どうなっているのでしょう。

それでも今朝のアサガオ、真っ白が!

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今日も雨の中、母を見舞にその足である人を送りに新しい羽田空港まで行ってきました。

途中、電車が少しストップしましたが10分位で動きだしホッとする。

夕方の便で無事送り、空港内をぐるっと回って見学しました。

あー飛行機に乗って旅行したいなー。

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                         羽田空港内
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by madamegrimm | 2015-09-08 23:42 | 未分類 | Comments(5)

 ブログ友人の投稿から知りました小林信彦氏の本、『四重奏クワルテット』を読んでからこの方の本をもう少し読みたく一冊は『流される』(文春文庫)を購入。主に母方の祖父を中心にした小説です。

もう一冊は『東京少年』(新潮社2006年発行)を図書館で借りてきました。作者の少年時代学童疎開経験が中心のお話です。

四重奏も含めて彼の体験談のように綴っていられますが、どの作品も実にリアルにフィクション化し、1人の人間像が作者を通して語られていることに共感を覚えました。

丁度戦争末期の昭和19年頃、少年は小学校6年生で弟と共に学童集団疎開させられる日々が痛々しいほどその心が表現させられていて、上空をB29機が飛んでいく姿をみて東京の方角が真赤に写し出されのをみて、子供心におののき、ソカイ組の貧しい戦いの中で疲れ果てながら親の迎えを待つ少年の心・精神が伝わってくるのです。

こちらの本発行の前に、小林氏の初期の作品に『冬の神話』として発刊されていたようですが、今はどうも幻の本のようで見つけることが出来ませんでしたが、この「東京少年」として編集されたのではないか・・・と勝手に想像しております。

これらの本を読み、戦争末期、敗戦直後、その後の激動期が一人の少年の姿から大人になっていく日本の社会が読みとれて、自伝的作品ではないのです。

作家で大江健三郎氏も自伝的作品であるように作品化していながら普遍的世界を表現していらっしゃいますが小林信彦氏も同じように私小説風に見せながら社会の歪みを訴えているのでした。

今、ハンガリーに辿り着いた難民の人々はオーストリアを通りドイツに到着しました。

徒歩の人々がほとんどです。力尽きないようどうかどうか宜しくお願い申し上げます。
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by madamegrimm | 2015-09-06 11:23 | 人間 | Comments(2)