私的香水の話
2016年 01月 18日
山間の家の方はかなりの積雪のよう、小さな村から合併して行政は大きく様変わりしましたが、その地域の方々の思い出が甦ってくることが多くなりました。
ブログ友人が香水事情をアップしていらっしゃいましたが、私もそれほど強い関心はないのですが姉妹のなかでは一番香水に関しては興味がある方でした。
プルコワ?パスク・・・又もや登場ですが亡き母の趣味で自分の娘時代から影響を受け、お化粧も香水も知識を得ていったのです。
そして昨年102歳で送った母が残していった香水類、私一人貰い受けたのです。
今朝いろいろ箱から出して香りを嗅いでみているうちに部屋中が香水の香りだらけになり、今もこうしてパソコンの前で手に振りかけたミックス香りが漂っていて流石香水の都パリがふらふらとおそいかかってくるのでした。
中学生の時でしたでしょうか、まだ戦後復興の最中、父が世界一周を仕事でしたが旅してきて娘心に火が付きました。
海外の香水はその頃からでしょうか、母と一緒に楽しみ始めたのは・・・。
自分が興味ひかれた香りはゲランのミツコ、大人になって愛用するようになり、シャネル5番や19番も出回り、ディオール、ニナリッチ、イヴサンローラン等々・・・美しい香水瓶と共に夢を与えてくれていました。母はジャン・パトウのジョイ・・・これは私には強過ぎ、つけ方にもよるのでしょうが香水は多すぎると品が無くなってしまいます。
ある私的な事・・・一番頻繁につけていた時期、新築した山間の地域にフランスから戻ってきたころです。
地域の用事を引き受けることが多くなり、社会教育委員、国勢調査員、統計調査員等々PTAの役員なども受けてしまい、地域密着の日々がありました。
昔裕福な材木関係の旧家が多い地域、仕事で一軒一軒訪ねていた頃、ある旧家でどなたも居られず帰ろうと思っていた処に奥からお爺さんが出ていらっしゃいました。私を見るなりにこにことなさって縁側に座り統計の話をしていましたら、「おお、いい匂いだなー、昔を思い出す・・・。」「なぜですか?」と伺うと、「材木を運んで街に出るとお姉さんたちがその匂いを出してくれていたものじゃ」・・・
あー、ゲランのミツコ、色町の方々がつけていたのですね・・・。
昨日の花屋さん