朔太郎の詩集より
2013年 02月 28日
昨日までのあの寒さはどこへ行ったのか・・・、いよいよ明日からIchの月、弥生です。
髪をカットして颯爽と街を歩いてきましょう。土の下の生きものたちも、木の幹の生きものたちもみ~んな動き始めます。
春です。朔太郎詩集にこんな詩が載っていました。
‘春の実体’
かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、
春がみつちりとふくれてしまつた。
げにげに眺めみわたせば、
どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
桜の花をみてあれば、
桜の花にもこの卵いちめんに透いてみえ、
やなぎの枝にも、もちろんなり、
たとえば蛾蝶のごときものさえ、
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
それがあのやうに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。
ああ、瞳(め)にもみえざる、
このかすかな卵のかたちは楕円形にして、
それがいたるところに押しあひへしあひ、
空気中いっぱいにひろがり、
ふくらみきつたごむまりのように固くなつてゐるのだ、
よくよく指のさきでつついてみたまえ、
春といふものの実体がおよそこのへんにある。
「月に吠える」より
萩原朔太郎の詩は情景が浮かび、音が聴こえてきたり、まさに幽邃(景色などがもの静かで奥深いこと)!
もう一つ記したい。
‘時計’
古いさびしい空家の中で
椅子が茫然としているではないか。
その上に腰をかけて
編物をしている娘もなく
暖炉に坐る黒猫の姿も見えない
白いがらんどうの家中で
私は物悲しい夢を見ながら
古風な柱時計のほどけて行く
錆びたぜんまいの響を聴いた。
じぼ ・ あん ・ じゃん! じぼ ・ あん ・ じゃん!
古いさびしい空家の中で
昔の恋人の写真を見てゐた。
どこにも思い出す記憶がなく
洋燈(らんぷ)の黄色い光の影で
かなしい情熱だけが漂ってゐた。
私は椅子の上にまどろみながら
遠い人気のない廊下の向うを
幽霊のやうにほごれてくる
柱時計の錆びついた響を聴いた。
じぼ ・ あん ・ じゃん! じぼ ・ あん ・ じゃん!
「定本 青猫」より
*じぼあんじゃん!じぼあんじゃん!なのですが間をあけましたのはIchの誇張です^^