語学の限界
2012年 07月 06日
買物に出てもよどんだ空気が身体をおおい風もないので得体のしれない臭いまでが周囲を右往左往しています。
このような空気を吸っているとよぎるのは放射線はどのようになっているのか、関東周辺も油断できない状況とは思うのですがデータの公表はありません。
解決などまったくしていないのに・・・。
日々日常のなかで淡々と自分はどうするかで生きるしかない。
過去を振り返り、いろいろな出会いのなかで自分を奮い立たせた一つに語学がありました。
いま現役の方々の語学力には本当に敬意を表しますがIchたちの時代は戦後混乱期の様々な生い立ちを担った方々の教えのなかでの教育でした。
初めて英語に出あったTeacherはFrau先生、いえ、そういうことはどうでもいいのですが、つまり言葉というものは人間存在そのものの根本に根ざしている‘生命のリズム’であるということなんですね。
日本語という生まれた時からのこの生命のリズムによって積み重ねられていく。
大人になってしまってから始める外国語は最初から組織的に勉強していかなければならず、能力の差が現れてきます。
20代で学んだ言葉と60代で学んだ外国語とではアーティキュレーションつまり言葉の明瞭な発音のしかたやデクラメーション朗読と訳すのでしょうか、それらが外国語を学ぶ上で大切であり機敏さの違いが諸に出て限界を感じてしまい最近つくづく情けなく思うのであります。
あとはその方々の情感でしょうか・・・。エモーション、う~ん・・・